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2007.02.20

聴くことの機能と効用

可聴領域についてのテストができるプログラムがある。

IDRメンバーの田中祐司は人類のほぼ限界と言われる二万Hz近くまで聴くことができる。一般的には二十歳が聴力のピークらしいが、弱冠二十歳の学生アルバイト氏は三十路に入って数年の田中以下であることに衝撃を受けていた。かく言う僕も残念ながら当該年齢平均値以下の可聴領域しか無い。自分には聴こえない音を聞き分けている人類が傍にいるのは何とも奇妙な感覚である。


ワルツのリズムは「強」「弱」「弱」と三角形の指揮で教えられた日本人は三拍子を上手く表現できない。特にウインナワルツのように拍子毎に音の長さが変わるように聴こえるモノはお手上げである。しかし先日、東京オペラプロデュースの指揮者、小林幸人氏と対話するうちにこれが聴き取り方の問題であることが解った。

「二拍目は一拍目と一緒で、三拍目が片足の受け皿という風に聴くのです」

確かに舞踏曲なのだから2本の脚を使ってステップを踏むことを考えれば当然のことで、ウインナワルツはその初めのステップがかなり強い、つまり軽やかに浮いている、と聴き取ることで一気に理解することができる。


聴くとは一体どんな行為なのだろう?


先述の一つ目の例は「聴く」の「察知する」「感じる」「読む」という意味合いを現す例だろう。気配を察知するというのは、可聴領域限界近辺の音を聞き分けているのかもしれない。二つ目の例は「聴く」の「理解する」「斟酌する」「解釈する」という意味合いを現す例だろう。甚だ野暮ったい表記で気が引けるが、大まかに言えばズンタッター、ズンタッターと理解するのかタッタ、タッタと理解するのかで、まるで異なる理解が生まれる。


しかし、聴く機能はこれにとどまらない。

アメリカインディアンのある部族の観察記録によると、三日間にわたる歓談の末、おもむろに猟が始まるという。適切な役割分担がなされており完璧なチームワークがなされているのだが、驚くべき事に三日間の話題に猟についてのことは一切出て来なかったというのである。

このエピソードを教えてくれたシンクタンクの研究部長は、以下のような魅力的な説明を加えてくれている。
「このとき交換されていたのは"言の葉"ではなく"言霊"だったんでしょうね。」


私達は聴いている時間のおよそ半分は「次に自分が喋る内容を考える」時間に充てていると言われる。簡単に知覚できる前述の二種類の「聴く」にもこれだけの機能と効用があるのだから、私達は随分無駄に「聞き流して」いるのだ。話す為の準備行動に費やしてしまうには、まだまだ解明されていないことが多いのだ。


IDRでは、この未解明な「聴く」という行為の機能と効用についても引き続き解明していきたいと考えている。美しいデザインには聴くという行為がどうしても必要なのである。

posted by idr at 14:56

Profile

和田晃一
株式会社エスキューブド
執行役員
1970生まれ
1994NTT入社。附帯事業部門を中心に勤務
2004教育研修会社grownaviを設立。企業研修の企画設計、講師などを務める
2006エスキューブドに参加。コミットしている担当業務は「読書」