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2007.03.06

見立てと窶し

休日に父の本棚を眺める。前面に並ぶ北方謙三の「三國志」の背表紙を見て、数年前、つい夢中になって仕事に支障を来したことを思い出しながらも、つと、北方版「水滸伝」を手に取ってしまう。三國志は13巻だが水滸伝は19巻。いかんいかんと思いながらも、ページを繰ってしまう。

各巻の扉絵は英傑達の肖像と名前が書かれている。独特な、癖のある字だなと思って見れば武田双雲である。先日開通した副都心線の明治神宮前駅の改札手前にある壁書画も彼の手になるモノである。NTTの後輩に当たるようだが、どうも好きになれない。いい書き手なのかもしれないが、「テレビに出すぎるとつまらなくなってしまう現象」の一部なのか?

「水滸伝」10巻分だけ車に詰め込み持ち帰る。


「どうやったらそんなに本が読めるのか?」
「速読術を身に付けたが、どうすればいいか?」
よく訊かれることだが、決して僕は多読でもないと思うし忘れてしまうモノも結構多い。読書速度はたいして速くない。

読み終えるのが目的の人が多いのに驚くが、僕には面白い本を早く読み終えてしまったら勿体ないのである。三國志も、ああ、終わっちゃう終わっちゃう、と、巻末に近づくと思っていたものだ。況や速読術など以ての外である。


子供がオモチャで遊ぶとき、オモチャは何かに「見立て」られ、自分は何かに「窶す」、これが遊びの本質であり、だからオモチャが子供達によって片付けられることはない。仕事をテキパキと「片付ける」ことが、デキるビジネスマンの条件だそうだが、まるで親に褒められることを期待するオモチャの片付けの巧い子供を見るようである。

「生産」的な仕事に向いているとは思う。そしてそれが重要であることも分かる。しかし、何かを産み出す仕事には「片付け」の巧さを誇るビジネスマンにはつらい。何故かと言えば、遊ぶ「縁(よすが)」である「仕事(オモチャ)」をすぐ片付けちゃうんだから、創造はすぐに行き詰まってしまう。

オモチャであり仕事の道具である「本」を、僕は読み終わりたくもないし、読みながら、放っておきながら、チラ見しながら、たくさん組み合わせて遊びたいのだ。自らの生産性の高さを騙る人の話を聞くに付け、創造性と生産性を両立させる組織(或いは組織の方法)の必要性を強く感じる。

posted by idr at 16:39

Profile

和田晃一
株式会社エスキューブド
執行役員
1970生まれ
1994NTT入社。附帯事業部門を中心に勤務
2004教育研修会社grownaviを設立。企業研修の企画設計、講師などを務める
2006エスキューブドに参加。コミットしている担当業務は「読書」