Blog

2009.03.17

脱学習(Unlearning)

執着を手放すとは?


国際プロジェクト・プログラムマネジメント学会のエクスペリエンスクラブにお招きいただき、Learnig Organization(学習する組織)についての講演を育児本共著の近藤直樹氏と行うことになった。これはLO勉強会という組織学習の自主研究会のお仲間で、実は同じクライアントを持っているIT系企業の代表が、忘年会の席上で提案したことに端を発する。

従業員100人を超える会社の代表を務め、学会理事に加えて工業大学大学院の技術経営研究科客員教授という肩書きを持つ彼女が、「じゃ、学習する組織のプレゼンをウチの社員も含めたギャラリーにやりませんか?」と何気ない調子で話を振るので、「ああ、面白そうですね」と安請け合いをするが、まさかこんな本格的な講演になるとは・・・


一口に学習といってもいろいろある。

「初学習」とは、子供達を見ていて思いついた僕の造語だが、この重要性は今更言うまでもないだろう。学校教育で使う教科書がその是非は別として国家検定制度下にあり、国民が生きてゆく知識の土台をしっかりと形成することを目的としているワケで、低賃金や過酷な労働内容にも拘わらず教員志望者が多いのも、その使命の重要さ故であることを指摘するのは蛇足かもしれないが有力な傍証ではある。

一方、一度学んだことを修正する、或いは新しく学び直すことが「再学習」なのだが、重要さが指摘されていながらその実践は難しい。この困難の最大の原因は、再学習に際して今までの知識を手放すことが、容易にできないからである。一度学んだことを手放すのが「脱学習」(Unlearning)である。

「意味のある会議は1時間や2時間でできるものではない」と、企画会社の社長が言っていたが、その真意は会議開始後の数時間は脱学習に費やされ、会議本来の「意味ある何か」はその数時間の後にこそ、生まれてくるものであるからという意味であろう。時間効率だけを重視し無駄を省いた会議が推奨され、この手法を売り込む本やセミナーが花盛りだが、その場にろくな情報や知性が存在しないのに会議というスタイルを採るだけではGarbage in, garbage outになりかねない。


前述の講演後、ある大学教授からの質問に回答するが、自説の主張を繰り返すばかりで今この場で起きたことや説明したことを受け容れられていないように見受けられる。所謂平凡な学者や実業家は、自分のモデルに強い拘りがないと一定の成果を出せないのかもしれないなぁ、と感じながら、非凡といわれる人は自分のモデルを手放すことで新しいモデルを手に入れているんだなぁ、ということも同時に理解する。事実、「場」について触れた頃の野中郁次郎氏は全く否定的な態度だったそうであるが、その後自説を代表する思想にまで研ぎ澄まし、「BA(場)といえばノナカ」が世界の通り相場となるまでになる。野中先生とはやっぱり違うんだな、とこの教授を見ながら少々寂しい気持ちになる。


しかし先日、この学会の理事からこんな話を聞く。

「この前の講演で和田さんの仰ってたデュアルドメインに関するお話、あの大学教授が今回の論文に使ってましたよ」


ひょっとすると、未来の大学者に影響を与えられたのかもしれない。

posted by idr at 17:16

Profile

和田晃一
株式会社エスキューブド
執行役員
1970生まれ
1994NTT入社。附帯事業部門を中心に勤務
2004教育研修会社grownaviを設立。企業研修の企画設計、講師などを務める
2006エスキューブドに参加。コミットしている担当業務は「読書」