Blog

2009.07.13

節度を失わないための考察

■何故なら我々はゼントルマンだから


7月12日付の日本経済新聞朝刊に「大収縮」という特集記事がある。このシリーズは読み応えがあって、新聞チェックの手が止められることが屡々である。今回はレバレッジの拡大の経緯が説明され、その起源が江戸時代の日本、1730年に誕生した大阪の先物コメ取引「帳合米取引」であることが紹介される。

「帳合米取引」は130〜200倍のレバレッジだったそうだが、高倍率にも拘わらず市場規律が保たれ理由を、当日決済徹底によるリスク繰り越し防止と、参加者が市場の信用維持に全力を注いだことにあるとしている。例えばそれは、コメの裏付けのない財政難の藩が発行した「米切手」の流通を米商人達は団結して排除する等、である。

日本に遅れること約120年、大阪の仕組が鎖国日本から伝播し、ペリー来航の6年前、1847年にシカゴ農産物先物市場が発足する。以後、シカゴは金融も含めた先物のメッカとなり、シカゴ大学は新古典派金融理論の先端を走るようになる。

この記事の中で、ニクソンショック前後に、ミルトン・フリードマンが「英ポンドを空売りしたくても、どこの銀行も受け付けてくれない」と新聞にコメントし、これを読んだレオ・メラメドが金融先物導入に繋げた、ということが書かれている。


御存知の通り、フリードマン教授はシカゴ大の新古典派マネタリストの代表であり、メラメドはシカゴ金融界の首領と目された人物である。


僕が大学1年生の頃、本格的なゼミナール形式の授業に慣れるための「プロゼミ」という、テキスト精読、輪読の授業があった。平成景気(所謂バブル)絶頂の当時、僕の担当教授が後期のテキストに選んだのが宇沢弘文の「豊かな社会の貧しさ」だった。

この本の中で、宇沢氏のシカゴ大時代の回想に、慣例である同僚とのランチタイム回想がある。その中に1967年の英ポンド切り下げ直前のエピソードとして「・・・ある同僚が遅れて席に着いたが、興奮して次のような話をしたのであった。彼はその日、コンチネンタル・イリノイ銀行という大銀行の窓口に行って、英ポンドの空売りを申し込んだという。その時、窓口の係が、『そのような注文には応じられない。何故なら我々は紳士(ゼントルマン)だからだ」というのである。ということはお前は紳士ではないといったことになる。しかし、資本主義の社会では、紳士の定義は、儲けるかどうかによって決まってくる。儲ける機会があるときに儲けようとしないのは逆に紳士ではないのだ』といってその教授は、日頃の信念を強調したのである」とある。

20年経った今、前述の日経新聞を読んで、漸くこのいつもランチを共にした「シカゴ大の新古典派経済学の分野で主導的な役割を果たしてきたある著名な教授」が誰だったのかを理解する。ひょっとすると、新聞記事に書かれた経緯は周知の事実で、寡聞にして宇沢氏の伏せ字に気付けなかっただけなのかもしれないが、出版当時存命していたフリードマンに遠慮したせいかもしれない、とも思う。


高い金融節度を保つことで有名だったコンチネンタル・イリノイ銀行も、1971年8月のニクソンショックに際して、東京外為市場で投機的ドル売りを大量に行って巨額の利益を手にした後すっかり節度を失い、投機的取引に大きく傾斜し始め1985年5月事実上の倒産に追い込まれる。この構図は我々の記憶に新しいリーマンブラザーズの崩壊に重なる。


「何故ならば、我々はゼントルマンだからだ」
M.フリードマン教授を相手に高らかに宣言したあの銀行は、18世紀の大阪商人が守り通せた節度を何故失っていったのだろう?

そこには2つの原因がある。一つは「自分だけがずっと楽して勝つことは有り得ない」というシステム思考の欠如、もう一つはデジタル化による満足感の喪失である。

楽をすることの魅力はどうやら麻薬に等しい抗しがたさがある。7月3日付の読売新聞朝刊に「円天」という疑似通貨を使った巨額詐欺事件で起訴されたL&G元会長の初公判の記事が掲載されている。出資金を集めておいて実際には事業を行わず、挙げ句の果てに六本木のキャバクラ嬢25人を「コスモガール」としてグループ会社で雇い、高額プレゼントと自らの遊興に使い、詐欺被害者を増やすことで贅沢生活が破綻するのを先延ばし続けた。

この元会長は、1960年代からマルチ商法に手を染めており、1978年には詐欺で実刑判決も受けている。しかし、更生されることなく再度の詐欺事件を引き起こし、しかも被害総額は1200億円の被害を出した豊田商事事件を超える過去最悪の1300億円に迫る勢いである。また、エビ養殖への投資名目で850億円を騙し取った会社会長も、過去に何度も詐欺を繰り返しているという。

このように、「労せずして儲ける」つまり楽をすることはいつしか習い性となり、懸命に(それこそ死ぬ覚悟で)頑張ることができなくなってくる。犯罪レベルの悪質な「楽」は傍目にも気が付くのだが、本当に怖いのは、誰もが持ち合わせるちょっとした「手抜き」であり、気付かないうちに増殖された集合的不作為は驚くような猛威を振るうことになる。

破綻は目に見えていた。しかし、詐欺はどういう訳か繰り返され、上記の2人の会長弁舌は、ずっと楽して勝ち続けられると信じていた節があるようにも聞こえてくる。制限のない成長は、少しでもシステム思考を試してみれば、有り得ない事が解るはずだ。

この増殖される方法に「デジタル」という魔術が関係してくる。東京大学の西垣通教授は、6月17日放送のNHK「視点・論点」で以下のように語っている。

「デジタル社会の特徴は、欲望が際限なく増していくことです。そもそも、欲望とはデジタルではなくアナログなものであり、一定程度みたされると飽和するのが普通でした。どんなにおいしいご馳走も、お腹が一杯になるともう食べられません。(中略)アナログな欲望には生理的にストップがかかるのです。(中略)そしてデジタル社会では、欲望がどこまでも膨張していく恐れがあるのです。百万円より一億円、さらに百億円、一兆円と、数値の桁はいくらでも増していきます。企業の利益だろうと、個人の所得だろうと、数値を増していく操作に限りはありません」

サブプライムローン破綻に言及し、「デジタルな欲望には歯止めがかからなくなってしまうのです。この結果、恐ろしい破綻が起きてしまいました。その責任を、投資家や金融業界だけに負わせることはできません」と結んでいる。

節度を失った後に節度を取り戻すのは難しい。

失わない努力は厳しく、「楽して儲けている」他人の姿を見る度に挫けそうになる。
しかし、ちょっとした手抜き、ちょっとした楽、ちょっとした裏切りは、デジタルという魔法で恐ろしい姿の怪物に姿を変えることを、努々忘れてはならない。


posted by idr at 16:23

Profile

和田晃一
株式会社エスキューブド
執行役員
1970生まれ
1994NTT入社。附帯事業部門を中心に勤務
2004教育研修会社grownaviを設立。企業研修の企画設計、講師などを務める
2006エスキューブドに参加。コミットしている担当業務は「読書」