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2010.03.15

今年は国民読書年

■キャッチフレーズは「じゃあ、読もう」

今年は国民読書年。
官民挙げて日本中の読書を推進することになるようだが、そもそも何故本を読むことが大事なのだろう?

この辺の問題が浮かび上がってきたのは、恐らく「本を読まない」ことによる日本の社会的損害が目立ってきたからである。因果関係の証明は難しいかもしれないが、読書離れに起因する社会問題は、教室でキレる子供、駅員を殴る壮年などなどマスコミなどで紹介されていることの多くが確かに含まれるだろうし、簡単に絶望する若年、仕事の作れない中年、ビジネスモデル依存の経営者に至るまで、その影響の裾野は広い。

読書は見聞を広めて充実した人生を送ることや豊かな人格形成に役立つことは、読書習慣のない人も含めて多くの人が認めるところだろう。

しかし、もっと読書は直接的に私達の生活、そして仕事にも関わるはずである。にも拘わらず「だから大事なんだ」「それで必要なんだ」という側面については殆ど言及されずにいるのは不思議である。その原因は「すぐに」効果が出るかどうかがわからないことに尽きるのだが、だからといって言及されないのはあまりに勿体ないので、比較的分かり易く、しかも効果の期待できる、企業の人材育成という観点から二つ挙げてみる。一つは経験という切り口であり、もう一つは想像力という切り口である。

一般的に社員育成は業務を経験する事でスキルを身に付けるOJT(On the Job Training)と、普段の業務から離れて別のスキル開発をするOff-JTがある。ジョブローテーションを設計するのは多様な部署経験が社員育成に必要であると考えるからであって、資格取得や能力開発をセミナー形式で実施させるのは業務以外の学習経験が育成に必須であると見なされるからである。

二つの手法は共に経験というキーワードがある。OJTは実経験でありOffーJTは仮想経験であるが、読書も仮想経験と見なすことができる。つまり読書によって経験を豊かにすることができるのだ。実体験と仮想体験の違いは勿論あるが、脳の記憶はその区別ができないという。

この道ウン十年という職人や高齢者の話は何時間聞いても飽きないし、溢れる知恵に感心させられるばかりである。その理由は仕事や人生の経験に基づいているからだ、といえるだろう。先輩社員が後輩より仕事ができるのは経験に裏打ちされた振る舞いができるからである。この経験をさらに豊かなものにするのが読書という「仮想経験」の積み重ねだ。読書による経験の蓄積をOBT(On the Book Training)とでも呼んで、人材教育に直接活用できるのではないだろうか?

経験を増やすということは、仕事という物語を構成するシナリオを豊かにすることである。しかし、単に蓄積するだけではない。読書は、シナリオを再編集する為に必要な想像力を、その行為の只中で鍛えてくれる。

記憶して忘れ、さらに何かの経験をきっかけにまた思い出して、シナリオ蓄積と再編集の力は鍛えられる。この辺の事情をお茶の水女子大の外山滋比古名誉教授は、本の読み方について「忘却を潜らせた知的発見は読者の経験とも結びつき新しいオリジナルな思考が生まれる」と発言しておられる。安心して忘れられるようにするために傍線を引きそのノンブレを書き留めることを勧めている。

ビジネスで何かを創り出す、或いはビジネスそのものを創り出す為には、その仕事の物語が作られなければならない。語られ、伝わり、再編集が施される環境がどうしても必要になる。これらの環境は経験をどうやって積んでいくか、その経験をどう扱うかに掛かっているが、読書は経験の蓄積と扱いの両方を一度にすることができる。読書による仮想体験シナリオの蓄積と実体験との再編集で仕事物語を生み出す、そんなサイクルが動き出す。

これは何も営利事業に限ったことではなく、行政などの公務員組織も同様である。改革推進型の地方自治体首長に作家や元新聞編集記者が多いのは、そのシナリオ構成力や物語編集力に拠るところが大きいだろうし、彼等の描く物語が、その善し悪しは別として、有権者に広く支持されるわけである。

個人から発して組織の紡ぐ物語に大きく影響することについて、経験という切り口だけでもこれだけある。次に、仕事をする個人の能力について、特に思考と密接な想像力を切り口に、読書との関係を考えてみたい。


半年くらい前のことだが、見城慶和さんが町内会で講演されると聞いて市民センターへ行く。山田洋二監督の「学校」の主人公モデルであり、荒川九中夜間の教員として、戦後の混乱で就学機会を奪われた人や、不登校生徒の教育を長年努めてこられた方である。何故町内会の講演にこんな凄い人が?と思いきや、なんと同じ町内にお住まいであった。

「文字が読めない」「不登校」という辛く苦しい経験をしてきた彼等の心を、最初の一学期は美しい詩を音読し、読み聞かせて、詩にたっぷりと浸す。「心を美しい詩に浸す」と仰有っていたが、これがまさに生きる力になり学ぶ動機になる。映画では田中邦衛が演じた「大工のイノさん」の卒業作文をレジュメで戴いたのだが、そこには「無報酬の報酬」について書かれている。これは宮沢賢治の作品から彼が学び取ったことだと見城先生は仰有る。酔っ払って入学式に出た、あのイノさんが、である。

場の研究で有名な生命学者の清水博東大名誉教授は、中学生で迎えた終戦時、日本の未来に対する不安からノイローゼ気味で、ついに不登校になるが、古本屋で万葉集冒頭の雄略天皇の御製「籠もよ み籠持ち 掘串もよ み掘串持ち・・・」を偶然目にしたその瞬間、この歌が「私の心をひらいた」と述懐されている。ここに新しい日本の文化を立脚させる方法があるのではないか?と思われたのだから凄まじい。「短歌ではなく長歌に向かえば、発展性と展開性のある日本文化を立脚させることができると直感した」とある。先日清水先生にお会いしたときにこの話をすると、懐かしそうに目を細めておられた。

少し読書から話が逸れるが、ダボス会議に日本仏教界から初参加する真言宗僧侶の松長有慶氏が新聞紙上で「人間にとっての一番の大きな欲は、あなたのおかげです、といってくれる人が一人でも二人でも増えること」と述べている。勿論、旨いものを食べたいだとか、大きな家を手に入れたいだとか、そういった欲もあるだろうし、これを否定するわけではない。この「大きな欲」については以前タイのポムケウ寺の僧侶からもよく似た話を聞かされたことがある。

小さな欲は生きている状態に必要で、大きな欲は生きていくはたらきに必要なのだろう。小欲から大欲へ移り変わるには、大欲の存在を知らなければならないし、相手、更には自分も含めた相手、つまり私達、を想定し想像しなければならない。「あなたのおかげです」と言って貰う為には相手を想像しなければならないし、言う為にも相手を想像しなければならない。

これは知人から聞いた話だが、大女優Sさんは演じる前に原作者や脚本家との対話を欠かさないそうである。しかし作者が故人の場合は?という問いに即座こう答えたそうだ。
「お墓参りをします。墓前で作者と対話します」

鍛えられた想像力はこのようなことまで可能にするのである。そして読書は想像力を大いにはたらかせる練習場にもなるのだ。

前述の外山氏は「人から薦められた本は殆ど役に立たない」から、人生の転機には濫読が必要だとも仰有る。これは本居宣長の宇比山踏(ういやまぶみ)を持ち出すまでもなく肯けることであるが、しかし、この検索社会である。スタートとゴールは一緒になってしまい、本に限らず「差し掛かる」ことのない生活が、出会いの機会や範囲を著しく狭めている。

急に「差し掛かれ」と言われても多くの人が暗闇の中で迷い挫折し自閉するというのが、00年代以降社会問題として露呈した「引きこもり」の姿である。昔のように何のトレーニングもしていない人を急に競技場に放り込んだところで、「巧くなったら練習するよ」とばかり逃げ出されてしまう。ここはもう少し巧くやらなければならない。その秘訣は、ちょっとだけ前を照らす光を点けることだ。

提携先のある社長曰く、「今年の年賀状は90%に御指導御鞭撻を、というメッセージが書かれてる。齢を重ねたせいもあるだろうが、いよいよ理解ビジネス、説明ビジネスの時代が来たのではないだろうか?」

新聞紙上に「鮮魚の達人協会」なるものが発足し、市場に出回らない魚を中心に魚の目利きが選んで薦めるサービスの紹介記事を見つける。市場に魚は溢れているが、旨い魚、ピッタリの魚は、港で捨てられてしまう中にもたくさんある。調理方法の知られていない魚、形が揃っていない魚、数量が少ない魚は店頭に並ぶことはない。商品価値が無いと見なされ港で捨てられる魚を見て、目利きが消費者に個別にそれぞれ選んでお薦めするサービスを思いついたという。レストランなどを中心に引き合いがあり、この協会では現在も目利きを募集しているそうだ。

この辺の事情は、書店と溢れる本との関係にも似ている。売れているからといって良い本とは限らないし、ピッタリの本というのは意外な内容だったりする。編集工学研究所の松岡正剛氏が言うように「三振する読書」もあるだろう。しかし三振の必要性を松岡氏も訴えているように、読者は三振覚悟で挑むべきだろうし、その本が後で意外なタイミングで効いてくることだってある。オーダーメイドの本がない以上、提供側は相手をよく見て訊いて本を「お薦め」することが肝要である。

残念ながら本を薦める、本の目利きという仕事は、極々一部の書店で行われているに過ぎない。しかし魚の目利きが求められる今日、本の目利きが求められない理由はない。書店が出版社に寄り添っているのに対して、読者に寄り添う、そんな目利きが求められている。本の目利きのお薦め本や読書サービスまで用意して、漸くあのキャッチフレーズに辿り着く。

「じゃあ、読もう。」

posted by idr at 15:45

Profile

和田晃一
株式会社エスキューブド
執行役員
1970生まれ
1994NTT入社。附帯事業部門を中心に勤務
2004教育研修会社grownaviを設立。企業研修の企画設計、講師などを務める
2006エスキューブドに参加。コミットしている担当業務は「読書」