Blog

2010.04.14

「働く」ということの現状

■なぜ一緒に働くのか<1>

新入社員が街に溢れるこの季節、厳しい就職戦線を潜り抜け、明日への希望に輝く彼等の姿を見ながら、なぜ人は働くのだろうということについて考えてみる。

巨大な資金や組織を扱う株式会社全盛時代のニッポンに生まれ育った私達は、高度に分業が進んだ企業に就職するということに何の疑問も抱かなくなっているが、その意味や労働形態についてよく理解しているとはどうも思えない。むしろ、「働く」ということについては、労働対価(賃金)を得るためという伝統的経済学のドグマに染め抜かれているようにも思える。

働くということには二つの側面がある。一つは、人生の表現形態であり、個人の生き様そのもの(若しくはかなりの部分)であるという面と、もう一つは社会の運営形態であり、誰かの何かの役に立つという面である。

どうやって生きるか?という問い方をすると、何をして喰っていくか?ということについてのみの回答がなされるが、それでは「喰うために生きている」ということになってしまう。ここで問われるべきは「あなたの生は何を表現する(したい)のか?」である。この「表現する」が働くことであり、「何を」にあたるのが仕事である。

誰かの何かの役に立つかどうかは、他人の生の表現を助けられるかどうかであり、その行為が役に立っていると認められれば、継続させるために対価は支払われる。その助力が社会から多く求められれば、従業者や対価は多くなるし、誰からも求められなければその業は廃される。

これが仕事をするということのミクロ構造である。個人事業であれ上場株式会社であれ、ここは変わらない。


そしてこのミクロ構造を基盤としてあらゆる組織論が展開してゆく。「共に表現する」「共通の何か」を持てばそれは組織であり組織目的であり、「恰も一つの有機体(生命)」として振る舞えることが法人という仮想「人格」が与えられる由縁である。

しかし、この仮想人格が分裂し、財務諸表という健康診断では見えない病で崩壊の淵に立たされている法人は多い。その病は社員の「仕事をする」ことへの認識にある。


喰うために働いていると公言するビジネスマンは多い。かつては謙遜の言い種だったが、どうも最近は、本当に喰うためだけに働き、それを当然のこととして受け止める風潮がある。そうなると、仕事をすることでは「生の表現」はできないので、仕事と無関係な「何か」によって行わざるを得ない。

表現したいことが人の役に立たないので充分な対価を得ることができない場合、喰うために働くという選択があった。メジャーデビューを目指して頑張っている歌手が、昼はアルバイトで食い扶持を稼ぐ、というのはその伝統的な型である。このスタイル、相当疲れることは想像に難くない。目的、つまり生を表現することと収入を得ることが別々だから、別々に考え別々に目標を立て別々に行動しなくてはならないのだ。概ねこの状態での生活は、よほどの意志が続かない限り早晩破綻を迎える。

それでも、自分の生の表現を「何で」するかを決めているからこそ短期的にとはいえ頑張れるのだが、「何」が不明なまま、或いは明らかにしようともせずに喰うために働く人が増えている。

この働き方は色々な問題を引き起こす。職業倫理と矜持の喪失である。

金さえ貰えりゃ何でもいい、という態度は、職務の反社会性や背任行為への抵抗を大きく下げてしまう。ラクならオイシイ、バレなきゃOKというのが、果ては振り込め詐欺まで繋がる倫理崩壊である。因みに振り込め詐欺は犯罪だが、犯人達はビジネスだと思っているらしい。

「そのような注文には応じられない。何故なら私達はゼントルマンだからだ」と、M.フリードマンの空売注文にコンチネンタル・イリノイ銀行員は、濡れ手で粟を知りつつ、金融機関、特に銀行の信用を根底から揺るがす行為を、誇りを持って断ったのだ。しかし、喰うためだけに働く人にとって、そんな矜持は一銭にもならない無意味な意地っ張りである。

さらに、自力で喰うことにも関心を持てなくなると、いわゆる引きこもりである。

自分の人生を何で表現したいのかもわからないし、ましてや自分のことを差し置いて人の役に立つなんて無理だし、面倒くさいし、意味がない。だから何もしなけれど、そうするウチにきっと誰かが私の才能に気付いてピッタリの仕事を頼みに来るから、それまで家で親に養って貰おう、というのが彼等の態度である。

これは家庭に限ったことではなく、会社内でも同じように引きこもり状態の人が存在しはじめている。こうなってくると、もう既に企業は、法「人格」どころの騒ぎではない。


個人と世界が分断され、関わらないという態度同士がぶつかり合っているか、引きこもっている。これは戦争とニートを同時に生み出している。一体、私達はどうしたらこの現状から抜け出せるのだろうか?


次号では、「仕事をする」というミクロ構造を成り立たせる想像力を軸に、人間特有の利他行動を絡めて考察する。

posted by idr at 17:32

Profile

和田晃一
株式会社エスキューブド
執行役員
1970生まれ
1994NTT入社。附帯事業部門を中心に勤務
2004教育研修会社grownaviを設立。企業研修の企画設計、講師などを務める
2006エスキューブドに参加。コミットしている担当業務は「読書」